わたしの歩み ~激動!どん底を味わった自分史~

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当初、自己紹介ページに書いていたのですが、

めちゃ重いので、

別記事にして、笑 これまでのわたしの歩みについて書いてみました。

思えば、ずいぶん遠くまで来たような気がしてるけど、

全然そんなことないのかなぁ・・・自分史です。

これまでの歩み

学校時代は、小学校~大学まで私立に行かせてもらい、(両親に感謝)

大学受験はしていないタイプです。

学生時代はノホホーーーンとしてました。人生甘くみてました。

毎年1月に「明日はいよいよセンター試験です」というニュースを見ても、

「おお、そうか!」となんとなく緊張感は伝わるものの、センター試験というものを知らず、

申し訳ないような気持ちになったりします。

小学生のときは虚弱&お嬢様生活

小学校のときは身体が弱くて、(弱いのは今でもか・・・)

毎年インフルエンザに罹っていました。

「ヒトは毎年インフルエンザに罹るもの」と高校くらいまで思っていました。

お嬢様たちが集う学校に通っていたため、

小学生なのに毎年ハワイに行ったりする同級生がいたりして、

海外に行っていない自分(国内はたくさん連れて行ってもらっていたのに)を

何となく後ろめたく思っていました。

そういう環境で育ったため、

社会人に出て世間とのカルチャーショックにめちゃめちゃ悩むはめになりました。

中高は部活漬け

大学受験しなかった代わりに中学受験をしました。(別の私学を受けました)

あの頃が人生で一番勉強した頃で、また「勉強ってめちゃくちゃ楽しいなあ!」

と思ってた時期でもありました。

中学受験で勉強の奥深さ、おもしろさに目覚めた気がします。

入学した中学高校では部活にどっぷり浸かり、受験知らず、勉強そっちのけで過ごしていました。

おかげで、生涯の友だちを得ることができ、学校生活に感謝しています。

とにかくお腹がすく毎日で、学校行ったら即ジャージに着替え、

毎日6食くらい食べて、人生で最大太ってました。(別に柔道部、とかではない 笑)

高校の帰り道は毎日、マックのバリューセット(しかもLのセット)をおやつとして食べてて、

ギャルがもてはやされた女子高生時代にもかかわらず、やせることにはまったく興味がありませんでした。

いわゆるアムロ世代ってやつです。わたしはギャルとはまーったく無縁でした。

大学は勉強とダンス漬け

大学では、また専門的に勉強すること、そして部活から覚えたダンスにハマり、

勉強とダンスでとにかく忙しかった。

大学生らしい徹夜で飲むとかサークルで騒ぐとか、そういうのとは思えば縁遠い生活でした。

むしろ、軽いカルチャーショックで大学生が賑やかに遊んでるのが苦手で、

サークルの勧誘さえ恐ろしく、遠巻きに見ていました。(どんだけ)

ようやく自分が小太りであることに気づき、大学生時代はずーっとダイエットしてました。

(今思うとそこまでやらなくてよかった)

将来のことは、ほっとんど考えてなくて、

大学の学科もそのとき好きだったことを高3のときに素直に選び、内部進学しました。

というか、大学の先には就職があることを、ちーーっとも、全く、わかっていませんでした。

両親もとくに何も言わず、誰かに一言教えてほしかったよ・・・

もしや「みんな、知ってる」前提だったかな。

わたしは、将来も勉強をし続け、「哲学を考えながら暮らしたいなぁ」

なんてぼんやり考え、

言わば、「スナフキン」みたいに生活するとうっすら思っていました。

どん底の就活・・・

当時、めっちゃ就職氷河期でした。

新卒採用をしていない大手も数多く、JALが上場廃止し、倒産する前の頃です。

名前の知れた企業でも、新卒採用のWebページがなかったりして、

「新卒は採用活動をしていらっしゃいますか?」と

電話して確認することもしばしばでした。

大学名によって企業の説明会に参加できないとかもザラでした。

大学の就職課からは「100社にエントリーシートを送ろう!」とアドバイスされ、

その通りに必死にがんばったものの、

受かったのはなんとか1社で、必然的にそこへ就職することになりました。

3年の秋から徐々に始めた就職活動が終わったのは、4年の夏でした。

もう、何度もかかとを替えたヒールをはいて、スーツを着て、

会社訪問し続けるのが苦痛になり、

1社決まってからは、なし崩し的に就活終了することにしました。

夏になってもまだ就職先が決まってない友だちも多くいたし、

公務員試験や大学院進学に転向する子も結構いました。

1社でも決まったのはたまたま運がよかったからだと思います。

もっとどん底だった新卒社会人時代・・・

就活でも「こんなに苦しいのか」と思って、どん底だと思っていたのもつかの間、

もっともっとしんどく、

「辛酸をなめる」どこか「喉が焼き尽くすまで辛酸を飲ませられた」のが、

新卒社会人時代でした。

男尊女卑が激しい中堅マスコミに入社し、

同じ部署に配属になった同期の中で、男子ばかりが研修やセミナーに参加でき、

どんどん仕事を任せられていく中、

女子のわたしは、資格をもって入社したものの、

お茶くみや掃除、仕事も庶務的なことばかりで、仕事を学ぶ機会がほぼありませんでした。

(今だったらホントありえない、炎上ものなんですけど)

女子は会社の飲み会では役職者の隣の席が指定され、

とくに新卒の女子は役員の隣の席というのが、暗黙のルールでした。

「おさわりOK」(もちろん、こっちは当然OKでない)みたいなとんでもないところでした。

そういうバカバカしいことをうまく交わして、

会社で少しでも学んで転職に生かそうとする同期もいましたが、

元々スナフキン志望だったわたしは、それらが全く受け入れられず、

また同期との価値観の違いもカルチャーショックで、気づけば、

本気(と書いてマジと読む・・・)のうつ病になってしまいました。

それから病院によって、さまざまな精神病の診断名がつき、

自分でも混沌としていて毎日息しているのがやっとでした。

一時は起き上がることも困難で、入院も経験し、さらに病気をこじらせて、

そこから約10年はどん底の「社会の果て」を見てきました。

ここでわたしの人生は一度終わったなと正直思います・・・

このへんの話を始めると、スターウォーズのような超大作になってしまうので、カッツアイ。

(一旦割愛しますが、需要があれば書きますね 笑)

派遣・契約社員をしながら、自分の居場所を探す

そんなこんなで、社会の果てをうろつきながら、

少しでも社会人としての自意識を保つためにずっと派遣や契約やらで仕事は続けていました。

(このときも少し休めばよかったのになと思うけど、働ていないと人間ダメだと思いこんでいました)

いろんな組織やそこで働く人々を何となしに見ていくうちに、

自分なりに将来どうしようか、どういう風に暮らしていきたいかなんかを少しずつ考えるように

なっていきました。

そうこうしているうちに、東日本大震災に見舞われて、

カオスに巻き込まれながら、都心から家まで夜中、歩いて帰るようなことがあったり、

そのあとの情景を目に映すうちに、人生を見直すようになりました。

わたしはこのまま結婚もせず(したいとも思わなかった)、

とにかく厚生年金と健康保険にしっかり入って、

自活できればそれで人生十分だと考えるようになりました。

そして入ったのが、またしてもブラックIT企業

その頃、契約社員として正社員転向可能だったはずの大手企業に勤めていたのですが、

「正社員転向はなし」の話になってしまい、

それまでロクに正社員経験のなかったわたしが、

とにかくがんばって正社員として転職しようと決意し、転職した先が

前職の墨汁ブラック企業でした。

(ミスッたーー!!!!!!)

就業規定や給与規程がロクになく、(書いてあるけどほぼ実行されない、とか、とかとか)

出るとこ出れば完全アウトーな感じの会社だったのですが、

仕事は、それまでのさまざまな組織での経験が生かされ、

またようやく病気も治ったので、

本当にバリバリがんばりました。

入社当時、「成果を出さないから評価しない(=給料低くて当然だ!)」と言われ、

(今考えれば、超ドメスティックな会社でそれもおかしいけど、)

そういうものなのか・・・とマジメに考えてしまったわたしは、

目に見える成果をどんどんあげて、組織にアピールしてきました。

けれど、成果はほとんど評価されず、結局辞めることになったのですが、

会社規模が100倍くらい違う大きな取引先にもすごくかわいがってもらえ、

退職の際は、「次はうちに来たらいい」と声をかけてもらうこともでき、(実際行かなかったけど)

この会社で得るものもそれなりにあったのかなと。

ただここで、人生の時間をずっと割くのはムダだなと思ったので、辞めましたが、

いろんな意味で勉強になることはとても大きかったと思っています。

気づいたら結婚してた

前職のブラック会社で働いている途中、

気づいたら婚姻届けを出しており、

おや、婚姻届けが受理された、ということは・・・?

わ、わし・・・け、結婚しとるやないかい!!

ということになりました。

この頃、とにかく仕事が忙しく、私生活が後回しになっていて、

仕事で成果を出せるようにと、まだ努力し続けていた頃だった(目が覚めていなかった)ので、

自分の結婚という、

人生における超一大イベントにあまり意識を集中させることができず、

気づいたら、家にオットがいました。笑

まぁ、このオットになった人が、超空気読まないマイペースな人間だったのですが、

わたしが空気読みすぎ、先回りしすぎ、考え詰めすぎな性格がゆえ、

今思えば、ちょうどよかったのかもしれません。

自分の時間を取り戻すために退職をする

ブラック企業で働くうちに、いろいろなことが俯瞰して見えるようになりました。

もうここでは時間を使えないと自ら会社を切り捨て、

自分の時間、健康、暮らしを取り戻すために生活を整えることにし、退職を決め、

ようやく「暮らすことの大事さ」を考えられるようになりました。

そうして、現在に至ります。

(もしここまで読んでくださった方いらしたら、ホントにどうもありがとう)

経験をブログに生かしたい

そんなわけで、

これまでにいろいろ考えていたこと、

企業で見てきたいろんな働き方や、暮らしの中で工夫していることなど、

こんなわたしの経験、価値観を踏まえつつ、ブログに書き起こして、

みんなに役立ててもらえればいいなぁなんて考えています。

共感いただけないこともあるかもしれませんが、そのへんはどうか大目に見てください。

また、あなた自身の考えを教えてください。

もし、わたしの黒歴史で聞きたことなどあれば 笑、よかったらコメントくださいねー!

読んでくれて、ありがとうございましたー!

コメント

  1. […] […]

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